年の瀬近づく今日この頃。ふと思うことを綴ってみる。
地元に戻って2年が過ぎた。
変わっていないと思っていた田舎も、気づけば住宅が増え、田んぼが減り、市役所は新しくなった。
兄が通い、私が通い、現在長男が通っている保育園も、近年中に建て直し、こども園になるのだそうだ。
すれ違う人の数は圧倒的に少ないものの、多くの人が子供たちに声を掛けてくれ、知り合いは野菜やお菓子をくれる。子どもたちは家族だけでなく地域に見守られながら、のびのびと、楽しそうに育っている。
そんな姿を見ると私の心は、少しずつ、でも着実に浄化されていく。
2年前、私の心は真っ黒だった。
生まれも育ちも東京の夫と結婚し、東京の女として生きていくはずだった。
それなのに、なんで、なんで、私は実家から徒歩10分のこの場所にいるのかと。
内見も散々して、西東京市の片隅の、3階建ての小さな家を買うはずだった。
知らない土地だが静かで、どことなく田舎的な雰囲気があって、そんな場所に私たちのお城を構え、子どもたちの為に産後はバリバリと働くつもりだった。
それなのに、私は仕事も、友達も、全てを捨てて東京を離れることになった。
私と、そして夫の意志に反する突然の出来事に、文字通り「頭が真っ白」になると言う経験をした。
それまで大した挫折も経験したことのない私にとって、人生で初めてのことだった。
そして、これまた生まれて初めて、ショックで眠れない夜を経験した。
大きなお腹を抱え、小さな子どもも抱え、私はこれからどうしていけばいいんだろう。
そんなことを一晩中ぐるぐると考え、涙が止まらない私に夫が出した結論が、「田舎に行こう」だった。
それが7月。そして、10月末には私たちは東京を去った。
たくさんの人に会って、たくさんのさようならとありがとうを伝えて、たくさんの思い出を胸に抱えて、私は最高に楽しい10年を過ごした東京を去った。
夫に至っては、生まれてから40年過ごした東京だ。半ば故郷を捨てた夫の決断や苦悩は計り知れないが、当時の私にはそれを思いやる余裕すらなかった。
引っ越しをして、あっという間に年が明けて、次男を出産して。それからもしばらくは私の頭の中は「なんで」でいっぱいだった。
もちろん幸せで楽しいこともたくさんあるのだが、時折ふと心が真っ黒になる瞬間があった。
胸の奥をかき回されて、どす黒い感情が私の心を濁らせていくのが手に取るようにわかった。
SNSで見る「東京」が、羨ましくて、憎たらしくて、「実家が近くて助かる」「田舎は子供が育てやすい」と自分に言い聞かせるように人に話し、黒い感情に無理矢理蓋をした。
それでも定期的に心は限界を迎え、「東京に戻りたい」と涙を流す日もあった。
いつからだろう。そんな気持ちにならなくなったのは。
思い返せば長男が保育園に入ってからだと思う。
長男が保育園にいくことで「外」との関わりができた。
長男にも友達ができて、私にも家族以外に会話ができる相手ができた。
意外と地元に残っている人がいるんだなという地元ネットワークや地元愛を感じるようになった。
周囲との関わりが増えていくうちに、今いるココに、自分の居場所を見出せるようになった。
要は私は孤独だったのだ。
気軽に会える友達もおらず、ちょっと電車に乗れば遊びに行ける場所もなく、ただ子供の体力を削るために動き回る毎日に、飽き飽きしていたのかもしれない。
それは人生の中の、とてもとてもかけがえのない時間なのに。
本当は、とてもとても幸せだったのに。
とはいえ今も私の東京へのあこがれは、完全に消えたわけではない。
私は東京が好きなのだ。
キラキラして、賑やかで、華やかで、洗練されていて。
何よりも、大好きな人たちがいる東京が大好きだ。
だけどそんな東京で、子ども2人を育てるだけの財力が当時の私たちにあったのかと問われれば、答えは恐らく「NO」だ。というか、恐らく今後もNOだ。
だから、大好きな東京で辛く苦しい思いをして東京が嫌いになるよりも、ワイワイ楽しそうにする友人たちを横目に家事育児仕事に追われるよりも、1年に1回でも、2年に1回でも「久しぶり」と肩を並べて飲めるくらいがちょうど良いのかもしれない。
今ならそう、純粋に思える。
だから、来年も、再来年も、その先もずっとずっと、私は頑張ろうと思う。
生まれ育った田舎で子育てができる喜びをかみしめながら。
東京にいる仲間に会える日を待ち焦がれながら。
そしていつか、1人で大好きな街で大好きな人たちと、あの頃のような楽しい夜を過ごせることを夢見ながら。
駄文ながら、今年最後のブログとさせて頂きます。
来年も、つらつらとどうでもいいことを綴っていきたいと思っております。
よろしくお願い致します。
では、良いお年を~